神奈川県愛甲郡

神奈川県愛甲郡での葬儀・家族葬は
お任せください。

各式場に関するお問合せは365日24時間お受けいたしております。ご葬儀に関しての不安、ご不明な点などもお気軽にお問合せください。専任スタッフが丁寧にお答え致します。

コムウェルの葬儀が選ばれる理由

創業43年、ご葬儀実績5万件超えの 安心と信頼
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創業43年、ご葬儀実績5万件超えの 安心と信頼

昭和47年6月の創業以来、一都三県を中心に、「お客様の哀しみを私たちの悲しみとする」という想いを胸にご葬儀のお手伝いをしてまいりました。累計5万件以上のご葬儀実績は、お客様からの信頼と安心の証です。

必要なものは全て 葬儀プランに予め含めています
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必要なものは全て 葬儀プランに予め含めています

コムウェルの葬儀プランには、「本来必ず必要になるもの」が最初から全て含まれています。プランに含まれているお料理や返礼品、利用式場などはお客様の要望により、自由に変更することも可能です。

必要なものは全て 葬儀プランに予め含めています
1人の担当者が事前のご相談から アフターフォローまで担当
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1人の担当者が事前のご相談から アフターフォローまで担当

「お客様の哀しみを私たちの悲しみとする」という想いのもと、コムウェルでは1人の担当者がお客様のご担当として寄り添うことを重視しています。事前のご相談からアフターフォローまで、「顔が見える安心感」を大切にしています。

神奈川県愛甲郡の斎場・葬儀場

神奈川県愛甲郡の葬儀・葬式について

今増えている家族葬の魅力とは
今全国的に増えている家族葬というお葬式の形が有ります。家族や親族のみで送り出す事が出来るので、余計な気を遣う事もありませんし、思い出話をゆっくりしながらお見送りが出来ます。終活の一環として相談をする方も多いです。残された家族の負担も少ないです。

急な葬儀で困ったら
急に大事な方が亡くなった時、何から始めて良いのかわからず動揺してしまう方は意外と多いです。葬式に参列することはあっても、自分が行うとなると分からないものです。そのようなときは弊社にお問い合わせください。経験豊富なスタッフがいつでも対応致します。

神奈川県愛甲郡の歴史について

江戸時代:当初は小田原藩が治めていたが次第に複雑化
愛甲郡にあたる地域はその多くが小田原藩の支配地となっていましたが、時代が下るにつれて他の藩領や幕府直轄領、旗本領が増え混在。1706年(宝永3年)には小田原藩主大久保氏の分家が加増を受けて独立した藩となり、現在の厚木市の中萩野に陣屋を置き萩野山中藩になりました。江戸時代後期は一部が下野国の烏山藩の所領となっています。

明治時代:愛甲郡が誕生!
江戸時代は愛甲郡を統一して治められることはありませんでしたが、明治に入ると1868年(慶応4年)に徳川氏の静岡入封にともなって萩野山中藩の駿河国内の領地に替えによって幕府旗本領は萩野山中藩の領地となり、小田原藩領は神奈川県の管轄になっています。その後、廃藩置県で各藩は萩野山中県、烏山県、佐倉県となって足柄県を経て1876年(明治9年)にすべての地域が神奈川県になりました。1878年(明治11年)には郡区町村編制法で行政区画としての愛甲郡が発足し、郡役所は厚木村に置かれました。

昭和時代:厚木市の誕生により村々が愛甲郡から離れた
中心地であった厚木は町村制施行によって1889年(明治22年)に厚木村から厚木町となって、郡内は1町16村の状態が長らく続くきます。1940年(昭和15年)には愛川村が愛川町となり2町15村となり、さらに戦後の村の合併により村の数が減っていき、現在の厚木市が誕生したのは1955年(昭和30年)で厚木町・小鮎村・玉川村・南毛利村・睦合村が合併し厚木市が発足して郡から離脱しました。さらに依知村が厚木市に編入され1町4村となり、1956年(昭和31年)には中津村が愛川町に編入、萩野村が厚木市に編入して、煤ヶ谷村と宮ヶ瀬村が合併し清川村が発足、1町1村(愛川町・清川村)になり現在に至ります。

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